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※アーティスト名のアルファベット順にならべています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ウエッサイ史上に異彩を放つ、サモア系のデヴォー(Devoux)
兄弟による巨体ぞろいの最重量グループ シンガーや楽器担当も含むバンドっぽい打ち出しで 90年に、ウエッサイ・ファンク・ラップの原型的な曲を満載した アルバムでデビュー。 巨体に似合わぬダンサーぶりも話題を呼ぶ。 |
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ウエッサイ・ヒップホップの黎明期に活動を始め、
何枚かのシングルをリリース。 レイクサイドの同名曲をカヴァー的に使用した“Fantastic Voyage” が大ヒットして、一躍有名に。 大胆なネタ使いのトラックに、野太い声でラップする、という スタイルを打ち立て、94年に出したアルバムもヒット。その翌年に リリースの“Gangsta Paradise”は 「世界史上最も売れたラップ曲」とも言われるほどヒットした。 |
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カリフォルニアは、ロサンゼルス コンプトン出身のDJ QUIK。
ラッパー兼プロデューサーで、デモテープをきっかけに、 プロファイルと契約を獲得する。 1991年にファーストアルバムをリリースする。 プロデューサーとしても、Hi-C、AMG、2nd II Noneなどの 周辺アーティストから、2PAC、Jay-Z、Jermain Dupri、 Janet Jackson、Truth Hurtsなど数多くのアーティストを 手がけている。 |
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「史上最高のヒップホップ・プロデューサー」、ドクター・ドレー。
65年生まれの彼はまず、80年代半ばL.A.のスーパーグループだった ワールド・クラス・レッキン・クルーに加入する。 キャリアの最初から常にシーンのトップにいる。 そして、「ヒップホップ史上の最重要グループ」=NWAの一員として 世界を震撼させた。 92年には1stソロ・アルバムでGファンク旋風を巻き起こし、 ウエッサイのキングとして君臨する。 自身のレーベル、アフターマスを設立〜第1弾となったコンピを リリース。この96年頃はやや人気が低迷。 しかし99年には、 エミネムを発掘〜大ブレイクさせ、 そして、 スヌープたちと再合体し再びウエッサイ旋風を巻き起こす。 この後には50セントも発掘〜大ブレイクさせて、 今もNo.1プロデューサーであり続けている。 |
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ベイエリアの小都市ヴァレフォ(Vallejo)のヒップホップシーンを
代表する巨漢。 ラップも独特だが、独自に開発したボキャブラリーあふれるスラングを駆使する王者としても知られる。 シック・ウィド・イット・レコーズを起業して成功 ビジネス面でも先見の明あり。 また、ソロ活動の一方で、弟のD・ショット、妹のシュガ・T、 従兄弟のB・レジットらと組んだ家族グループ、 ザ・クリック(The Click)としても活動している。 |
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あのN.W.Aの拠点であったコンプトン出身で、そのN.W.Aの一員だったドクター・ドレーがバックアップするということで、
「N.W.Aの正統後継者」とされる彼は当然のように大ブレイク。 ドレーに出会う前に、ベイエリアのインディーシーンの帝王 JT・ザ・ビガ・フィガに気に入られ、JTのレーベルでレコーディングを重ねていた。 その頃、2003年前後に録音されていた音源をまとめたものが 「Untold Story」と「West Coast Resurrection」である。 |
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UCLAの職員である両親のもとに生まれ、10代後半にヒップホップに目覚めたという。
高校の時にやっていたCIAというグループでドクター・ドレーの目にとまり、その縁でN.W.Aに参加。 最年少でありながら、圧倒的な作詞力とラップ力でグループを事実上リード。 だが、イージー・Eの搾取によるギャラ問題で不満を爆発させ、撤退。 90年にソロデビューした。 その後も91年、92年と大ヒット連発。 しかし、よりウエッサイ的なサウンドとなった93年以降は、俳優業で忙殺され、音楽界から遠のく。 だが、コメディー映画「Friday」(95年)をヒットさせた翌年に、 マック10&WCと組んだウエストサイド・コネクションとして アルバムを発表、世間を驚かせた。 |
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相棒のDJ・プーや、アルカホリックスのJ・ローらと活動を始めた
KING T。88年に1stアルバムをリリースしている。 続いて90年に2ndアルバムをリリース。 この2枚は、ウエストサイドとニューヨークのフレイ ァーを合わせたようなオリジナルな作品だった。 キング・Tの個性は、当時のGファンク一色だったウエストサイドではより際立っていく。 そんなキング・Tに目を付けたのがドクター・ドレーで、 次代のウエッサイ・ファンクを探していたドレーは彼をアフターマスに招く。 そして、98年に新しいファンクが詰まった5枚目のアルバムを リリースするはずが・・・オクラ入り。 この傑作は2003年に自主リリースされている。 |
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フィラデルフィア生まれの実の兄弟であるクラプトとロスコー。
先にL.A.に向かったクラプトは、まずはスヌープと知り合いD.P.G.入り。 ダズとのコンビ、ドッグ・パウンドで活躍、名を売った。 デス・ロウ崩壊後はソロで数枚のアルバムをリリース。 どれもバラエティーに富むラップ、サウンドが楽しめる好盤だ。 2002年頃に再びシュグ・ナイトと組んだことで孤立していたが、 スヌープの呼びかけに応じてビーフは解消。 ドッグ・パウンドも再始動している。 一方、兄よりもずいぶんと若いロスコーは、 2000年に“I Love Cali”を大ヒットさせて一躍注目を集めた。 |
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ゴスペルっぽいのにクワイア(聖歌隊)出身ではないL.V.。
サウスセントラル・カーテル(S.C.C.)でただひとりのシンガーとして活躍してきた。 ネイト・ドッグを始め多くに影響を与えてきた。 ウエストサイドに多い「ギャングスタ・シンガー」の元祖といった 存在だ。 またS.C.C.では多くの曲でフックを歌い、今のヒップホップに先駆けて歌とラップのミクスチャーを聴かせてきた。 95年、クーリオと組んだ“Gangsta Paradise”が記録的なヒットと なり、名を上げたL.V.はソロでも様々なアーティストと組んだ バラエティー豊かなアルバムをリリース。 2000年には本格的なR&Bアルバムをリリースしている。 また、2002年にL.V.&プロディジー名義でリリースされたアルバムは全編でL.V.の歌が楽しめる好作だ。 |
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イングルウッド出身のマック10。アイス・キューブの下でリリースした95年のデビュー・アルバムがいきなりヒット。
ウエストサイド・コネクションの一員になりさらに名を上げた翌年、 97年リリースの傑作2ndアルバムでその人気を決定ずけた。 勢いに乗り自身のレーベル、フー・バンギンを設立したマック10は、全米の大物多数をフィーチャーした3rdアルバムを、そしてコムラズ、オールフラムザ・アイ、CJ・マックといったファミリーのアルバムも連発して、98年頃にはウエストサイドシーンをリードする存在に。 |
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Compton's Most WantedのリードラッパーMC Eiht。
1993年に自身も出演した映画「Menace II Society」のサントラに 提供し、大ヒットした「Streiht Up Menace feat.CMW」で、 ソロデデュー。 1994年には、1stアルバム「We Come Strapped」をリリースする |
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ウエストサイドの、というよりも今や「全米の客演王」となった
ネイト・ドッグ。 213で活動を共にしていたスヌープ、ウオーレン・Gと一緒に ドクター・ドレーにフックアップされ彼の『The Chronic』で フィーチャーされ注目を集め、そしてウオーレン・Gと組んだ “Regulate”の大ヒットで人気を決定的なものとする。 その後はファミリーの作品を始めとするホントに多くの曲で フィーチャーされ、ワン&オンリーな歌声を聴かせてきたのはご存じの通り。 これだけ人気がありながらオリジナル・アルバムは数枚だけ、というのは少ない。 けれどネイトはやはり客演でこそ活きる、実に特別な人気者なのだ。 |
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ウエストサイド・ヒップホップの基礎を築いたスーパー・グループ。
ドラック売買で資金を作ったイージー・Eが、 「今度は音楽を売ろう!」とドクター・ドレーと組んだのが きっかけ。 87年のお披露目的なアルバムで注目を集め、 89年のアルバムで人気爆発! その後、メイン・ラッパーのアイス・キューブが脱退するも、 MC・レンの頑張りとDOCのサポートによって活動を継続。 91年リリースのアルバムは、予想だにしない大ヒットを記録、 ウエストサイド絶頂期の到来を印象づけた・・・・・が、ドレーの 脱退でグループ崩壊。 99年にドレー、キューブ、レンの3人にスヌープを加える形で 新生N.W.Aが誕生したが、発表した曲は1曲のみ。故イージーに声質の似ているDJ・クイックを入れるべきだった、という意見も。。。 |
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ご存知、「ウエストサイドの顔」であるスヌープ。ロングビーチ出身の彼は、同郷のウォーレン・G、ネイト・ドッグと213を組み地元で名を上げる。
そしてドクター・ドレーに気に入られ、ドレーIntroducingスヌープ 名義のアルバムで92年にデビュー。 同年のドレー『The Chronic』でも主役級の働きをし、そして翌93年の1stアルバムを全世界で大ヒットさせて、歴史的なGファンク旋風を巻き起こした。 98年にはマスター・Pのノー・リミットに入り3枚のアルバムをリリース。 特に2000年のアルバムはドレーと再合体した名盤だ。 その後も、3人組ユニット、イーストサイダーズを始動させ、 213の初アルバムをリリースし、そしてソロ・アルバムでは様々な プロデューサーと組んで常にシーンのトップに君臨。 |
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ラッパー&プロデューサーのプロディジーを中心に、
ラッパーのハヴォックとハヴィック、ふたりのDJ、 それにシンガーのL.V.らで結成されたサウス・セントラル・カーテル(S.C.C.)。 92年デビューアルバムの中の曲がヒット、人気を確立した彼らは、 以降S.C.C.、ハヴォック&プロディジー、マーダー・スクワッド といった名義を使い分けて実に多くのファミリー作品をリリースしていく。 |
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Tha Dogg Pound(DPG)は、それぞれソロとしても活躍している
Daz DillingerとKuruptの2人組。 Death Rowにレーベル設立時から在籍し、Dr.Dreの「The Chronic」 やSnoop Doggy Doggの「Doggystyle」などの客演を経て、 デビュー作をリリースする。 DPGやDPGCは、Tha Dogg Poundの別名で、Tha Dogg Poundは Daz DillingerとKurupだけでなく、Snoop Doggなどの 周辺アーティストも含めたクルーの名称としても使われている。 |
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1966年LA生まれ、でもオークランド育ち。
「ビヤ〜ッチ」というフレーズをトレードマークとするピンプ・ラップの大御所。85年(83年説あり)にデビュー。 88年にジャイブと契約し、名盤を次々とリリース。ヒップホップとしては異常に長い曲(6分〜10分くらい)を含むユッタリとしてファンキーなトラックに、マッタリとしたピンプ語りソングという黄金パターンを確立した。 96年リリースのアルバムをもって引退を宣言!・・・が、99年リリースアルバムでカムバックし、引退宣言撤回というパターンの先駆者となる。 |
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Twinzは、Warren Gが、Def Jam傘下に設立したレーベル
G Funk Musicから、1995年にデビューアルバム「Conversation」 をリリースした双子のユニット。 FoesumやTha Eastsidaz、5 Footazなどの作品にも参加している。 |
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ドクター・ドレーの義弟にして、ロングビーチ流Gファンクの創始者。
高校時代から、スヌープ&ネイトと「213」というグループを組んで活動。その213のデモをドレーに聴かせ、スヌープのデビューにひと役買ったものの、自分はマイペースな活動を続ける。 『Above The Rim』のサントラ収録の“Regulate”を大ヒットさせて後、94年のデビューアルバムをデフ・ジャムからリリース。 ドレーらデス・ロウ軍団の鬼気迫る曲調とは違う、スムーズで爽やかなタッチの作風で人気を獲得。 ただ、97年のアルバムは、煮え切らない内容で評価が分かれた。 だが、思いがけないほどの傑作となった99年のアルバムで見事カムバック。 2001年には、デビュー作のジャケットそっくりなアルバムをリリース。 2004年には213として初のアルバムを出した。 |
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ウエストサイドが誇る大ベテラン、WC。
まずはDJ・アラディンとのコンビで、90年にアルバム1枚を残す。 その後、あのクーリオや、実弟のDJ・クレイジー・トゥーンズとWC&ザ・マッド・サークルを結成。アイス・キューブのバックアップを得て、91年、95年にアルバムをリリースした。 そして96年には、アイス・キューブ、マック10と ウエストサイド・コネクションを結成。 このウエストサイド最強ユニットではこれまでに、数枚のアルバムをリリースしている。 さらにソロでも数枚のアルバムをリリース。 歌うようなフロウも交えたラップもウマい彼は、Cウォーク・マスターでもある。 |
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デトロイトで生まれた後にL.A.にやってきたイグジビットは、
キング・Tをボスとするリックウィット・クルーに加入し、 アルカホリックスやデファーライらと共に腕を磨いてきた。 96年の1stアルバムは「西海岸ニュースクール」的な作りだったが、 98年の2ndアルバムでは一変。アイス・キューブの右腕だった シー・ジンクスがメイン・プロデューサーを務めたこれは、 次代のウエストサイド・ファンクを聴かせた力作だ。 そして、この後ドクター・ドレーに気に入られ、 彼がプロデュースしたスヌープ“B Please”に客演。 この曲が大ヒットするとイグジビットの人気も急上昇した。 ドレーが総監督を務めた2000年、2002年のアルバムで シーンのトップに立った彼。 ドレーから独立して2004年にリリースしたアルバムも傑作だ。 |
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