このページでは、『初めてRAPミュージックを聴くという方』のために、
WEST SIDE・WEST COASTの代表的なアーティストを、
それぞれの代表作&photoを
含めて紹介しています。

「WEST SIDE・WEST COASTって、どんなアーティストがいるの?」
「最近RAPを聴きはじめてるんだけど、まだ知識や情報がなくってよくわからないなぁ。」

といった方は、ぜひ、参考にして下さいね。
『WEST SIDE・WEST COAST RAP』にご興味を持たれた方は、
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WEST COAST RAPアーティストの紹介
“W” ■BOO YAA TRIBE ■DJ QUIK ■E-40 
■THE GAME ■MACK 10
“W” COOLIO ■DR.DRE ■ICE CUBE ■KING T
KNOC-TURN'AL KURUPT&ROSCOE ■LV
■MC Eiht ■NATE DOGG ■N.W.A ■SNOOP DOGG
■SOUTH CENTRAL CARTEL ■THA DOGG POUND

TOO SHORT ■Twinz
■WARREN G ■WC ■XZIBIT
※アーティスト名のアルファベット順にならべています。
BOO-YAA TRIBE
ウエッサイ史上に異彩を放つ、サモア系のデヴォー(Devoux)

兄弟による巨体ぞろいの最重量グループ

シンガーや楽器担当も含むバンドっぽい打ち出しで

90年に、ウエッサイ・ファンク・ラップの原型的な曲を満載した

アルバムでデビュー。

巨体に似合わぬダンサーぶりも話題を呼ぶ。

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COOLIO
ウエッサイ・ヒップホップの黎明期に活動を始め、

何枚かのシングルをリリース。

レイクサイドの同名曲をカヴァー的に使用した“Fantastic Voyage”

が大ヒットして、一躍有名に。

大胆なネタ使いのトラックに、野太い声でラップする、という

スタイルを打ち立て、94年に出したアルバムもヒット。その翌年に

リリースの“Gangsta Paradise”は

「世界史上最も売れたラップ曲」とも言われるほどヒットした。

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DJ QUIK
カリフォルニアは、ロサンゼルス コンプトン出身のDJ QUIK。

ラッパー兼プロデューサーで、デモテープをきっかけに、

プロファイルと契約を獲得する。

1991年にファーストアルバムをリリースする。

プロデューサーとしても、Hi-C、AMG、2nd II Noneなどの

周辺アーティストから、2PAC、Jay-Z、Jermain Dupri、

Janet Jackson、Truth Hurtsなど数多くのアーティストを

手がけている。

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DR.DRE
「史上最高のヒップホップ・プロデューサー」、ドクター・ドレー。

65年生まれの彼はまず、80年代半ばL.A.のスーパーグループだった

ワールド・クラス・レッキン・クルーに加入する。

キャリアの最初から常にシーンのトップにいる。

そして、「ヒップホップ史上の最重要グループ」=NWAの一員として

世界を震撼させた。

92年には1stソロ・アルバムでGファンク旋風を巻き起こし、

ウエッサイのキングとして君臨する。

自身のレーベル、アフターマスを設立〜第1弾となったコンピを

リリース。この96年頃はやや人気が低迷。

しかし99年には、

エミネムを発掘〜大ブレイクさせ、

そして、

スヌープたちと再合体し再びウエッサイ旋風を巻き起こす。

この後には50セントも発掘〜大ブレイクさせて、

今もNo.1プロデューサーであり続けている。

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E-40
ベイエリアの小都市ヴァレフォ(Vallejo)のヒップホップシーンを

代表する巨漢。

ラップも独特だが、独自に開発したボキャブラリーあふれるスラングを駆使する王者としても知られる。

シック・ウィド・イット・レコーズを起業して成功

ビジネス面でも先見の明あり。

また、ソロ活動の一方で、弟のD・ショット、妹のシュガ・T、

従兄弟のB・レジットらと組んだ家族グループ、

ザ・クリック(The Click)としても活動している。

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THE GAME
あのN.W.Aの拠点であったコンプトン出身で、そのN.W.Aの一員だったドクター・ドレーがバックアップするということで、

「N.W.Aの正統後継者」とされる彼は当然のように大ブレイク。

ドレーに出会う前に、ベイエリアのインディーシーンの帝王

JT・ザ・ビガ・フィガに気に入られ、JTのレーベルでレコーディングを重ねていた。

その頃、2003年前後に録音されていた音源をまとめたものが

「Untold Story」と「West Coast Resurrection」である。

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ICE CUBE
UCLAの職員である両親のもとに生まれ、10代後半にヒップホップに目覚めたという。

高校の時にやっていたCIAというグループでドクター・ドレーの目にとまり、その縁でN.W.Aに参加。

最年少でありながら、圧倒的な作詞力とラップ力でグループを事実上リード。

だが、イージー・Eの搾取によるギャラ問題で不満を爆発させ、撤退。

90年にソロデビューした。

その後も91年、92年と大ヒット連発。

しかし、よりウエッサイ的なサウンドとなった93年以降は、俳優業で忙殺され、音楽界から遠のく。

だが、コメディー映画「Friday」(95年)をヒットさせた翌年に、

マック10&WCと組んだウエストサイド・コネクションとして

アルバムを発表、世間を驚かせた。

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KING T 〔KING TEE〕
相棒のDJ・プーや、アルカホリックスのJ・ローらと活動を始めた

KING T。88年に1stアルバムをリリースしている。

続いて90年に2ndアルバムをリリース。

この2枚は、ウエストサイドとニューヨークのフレイ ァーを合わせたようなオリジナルな作品だった。

キング・Tの個性は、当時のGファンク一色だったウエストサイドではより際立っていく。

そんなキング・Tに目を付けたのがドクター・ドレーで、

次代のウエッサイ・ファンクを探していたドレーは彼をアフターマスに招く。

そして、98年に新しいファンクが詰まった5枚目のアルバムを

リリースするはずが・・・オクラ入り。

この傑作は2003年に自主リリースされている。

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KURUPT&ROSCOE
フィラデルフィア生まれの実の兄弟であるクラプトとロスコー。

先にL.A.に向かったクラプトは、まずはスヌープと知り合いD.P.G.入り。

ダズとのコンビ、ドッグ・パウンドで活躍、名を売った。

デス・ロウ崩壊後はソロで数枚のアルバムをリリース。

どれもバラエティーに富むラップ、サウンドが楽しめる好盤だ。

2002年頃に再びシュグ・ナイトと組んだことで孤立していたが、

スヌープの呼びかけに応じてビーフは解消。

ドッグ・パウンドも再始動している。

一方、兄よりもずいぶんと若いロスコーは、

2000年に“I Love Cali”を大ヒットさせて一躍注目を集めた。

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L.V.
ゴスペルっぽいのにクワイア(聖歌隊)出身ではないL.V.。

サウスセントラル・カーテル(S.C.C.)でただひとりのシンガーとして活躍してきた。

ネイト・ドッグを始め多くに影響を与えてきた。

ウエストサイドに多い「ギャングスタ・シンガー」の元祖といった

存在だ。

またS.C.C.では多くの曲でフックを歌い、今のヒップホップに先駆けて歌とラップのミクスチャーを聴かせてきた。

95年、クーリオと組んだ“Gangsta Paradise”が記録的なヒットと

なり、名を上げたL.V.はソロでも様々なアーティストと組んだ

バラエティー豊かなアルバムをリリース。

2000年には本格的なR&Bアルバムをリリースしている。

また、2002年にL.V.&プロディジー名義でリリースされたアルバムは全編でL.V.の歌が楽しめる好作だ。

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MACK 10
イングルウッド出身のマック10。アイス・キューブの下でリリースした95年のデビュー・アルバムがいきなりヒット。

ウエストサイド・コネクションの一員になりさらに名を上げた翌年、

97年リリースの傑作2ndアルバムでその人気を決定ずけた。

勢いに乗り自身のレーベル、フー・バンギンを設立したマック10は、全米の大物多数をフィーチャーした3rdアルバムを、そしてコムラズ、オールフラムザ・アイ、CJ・マックといったファミリーのアルバムも連発して、98年頃にはウエストサイドシーンをリードする存在に。

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MC Eiht
Compton's Most WantedのリードラッパーMC Eiht。

1993年に自身も出演した映画「Menace II Society」のサントラに

提供し、大ヒットした「Streiht Up Menace feat.CMW」で、

ソロデデュー。

1994年には、1stアルバム「We Come Strapped」をリリースする

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NATE DOGG
ウエストサイドの、というよりも今や「全米の客演王」となった

ネイト・ドッグ。

213で活動を共にしていたスヌープ、ウオーレン・Gと一緒に

ドクター・ドレーにフックアップされ彼の『The Chronic』で

フィーチャーされ注目を集め、そしてウオーレン・Gと組んだ

“Regulate”の大ヒットで人気を決定的なものとする。

その後はファミリーの作品を始めとするホントに多くの曲で

フィーチャーされ、ワン&オンリーな歌声を聴かせてきたのはご存じの通り。

これだけ人気がありながらオリジナル・アルバムは数枚だけ、というのは少ない。

けれどネイトはやはり客演でこそ活きる、実に特別な人気者なのだ。

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N.W.A
ウエストサイド・ヒップホップの基礎を築いたスーパー・グループ。

ドラック売買で資金を作ったイージー・Eが、

「今度は音楽を売ろう!」とドクター・ドレーと組んだのが

きっかけ。

87年のお披露目的なアルバムで注目を集め、

89年のアルバムで人気爆発!

その後、メイン・ラッパーのアイス・キューブが脱退するも、

MC・レンの頑張りとDOCのサポートによって活動を継続。

91年リリースのアルバムは、予想だにしない大ヒットを記録、

ウエストサイド絶頂期の到来を印象づけた・・・・・が、ドレーの

脱退でグループ崩壊。

99年にドレー、キューブ、レンの3人にスヌープを加える形で

新生N.W.Aが誕生したが、発表した曲は1曲のみ。故イージーに声質の似ているDJ・クイックを入れるべきだった、という意見も。。。

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SNOOP DOGG
ご存知、「ウエストサイドの顔」であるスヌープ。ロングビーチ出身の彼は、同郷のウォーレン・G、ネイト・ドッグと213を組み地元で名を上げる。

そしてドクター・ドレーに気に入られ、ドレーIntroducingスヌープ

名義のアルバムで92年にデビュー。

同年のドレー『The Chronic』でも主役級の働きをし、そして翌93年の1stアルバムを全世界で大ヒットさせて、歴史的なGファンク旋風を巻き起こした。

98年にはマスター・Pのノー・リミットに入り3枚のアルバムをリリース。

特に2000年のアルバムはドレーと再合体した名盤だ。

その後も、3人組ユニット、イーストサイダーズを始動させ、

213の初アルバムをリリースし、そしてソロ・アルバムでは様々な

プロデューサーと組んで常にシーンのトップに君臨。

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SOUTH CENTRAL CARTEL
ラッパー&プロデューサーのプロディジーを中心に、

ラッパーのハヴォックとハヴィック、ふたりのDJ、

それにシンガーのL.V.らで結成されたサウス・セントラル・カーテル(S.C.C.)。

92年デビューアルバムの中の曲がヒット、人気を確立した彼らは、

以降S.C.C.、ハヴォック&プロディジー、マーダー・スクワッド

といった名義を使い分けて実に多くのファミリー作品をリリースしていく。

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THA DOGG POUND
Tha Dogg Pound(DPG)は、それぞれソロとしても活躍している

Daz DillingerとKuruptの2人組。

Death Rowにレーベル設立時から在籍し、Dr.Dreの「The Chronic」

やSnoop Doggy Doggの「Doggystyle」などの客演を経て、

デビュー作をリリースする。

DPGやDPGCは、Tha Dogg Poundの別名で、Tha Dogg Poundは

Daz DillingerとKurupだけでなく、Snoop Doggなどの

周辺アーティストも含めたクルーの名称としても使われている。

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TOO SHORT
1966年LA生まれ、でもオークランド育ち。

「ビヤ〜ッチ」というフレーズをトレードマークとするピンプ・ラップの大御所。85年(83年説あり)にデビュー。

88年にジャイブと契約し、名盤を次々とリリース。ヒップホップとしては異常に長い曲(6分〜10分くらい)を含むユッタリとしてファンキーなトラックに、マッタリとしたピンプ語りソングという黄金パターンを確立した。

96年リリースのアルバムをもって引退を宣言!・・・が、99年リリースアルバムでカムバックし、引退宣言撤回というパターンの先駆者となる。

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Twinz
Twinzは、Warren Gが、Def Jam傘下に設立したレーベル

G Funk Musicから、1995年にデビューアルバム「Conversation」

をリリースした双子のユニット。

FoesumやTha Eastsidaz、5 Footazなどの作品にも参加している。

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WARREN G
ドクター・ドレーの義弟にして、ロングビーチ流Gファンクの創始者。

高校時代から、スヌープ&ネイトと「213」というグループを組んで活動。その213のデモをドレーに聴かせ、スヌープのデビューにひと役買ったものの、自分はマイペースな活動を続ける。

『Above The Rim』のサントラ収録の“Regulate”を大ヒットさせて後、94年のデビューアルバムをデフ・ジャムからリリース。

ドレーらデス・ロウ軍団の鬼気迫る曲調とは違う、スムーズで爽やかなタッチの作風で人気を獲得。

ただ、97年のアルバムは、煮え切らない内容で評価が分かれた。

だが、思いがけないほどの傑作となった99年のアルバムで見事カムバック。

2001年には、デビュー作のジャケットそっくりなアルバムをリリース。

2004年には213として初のアルバムを出した。

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WC
ウエストサイドが誇る大ベテラン、WC。

まずはDJ・アラディンとのコンビで、90年にアルバム1枚を残す。

その後、あのクーリオや、実弟のDJ・クレイジー・トゥーンズとWC&ザ・マッド・サークルを結成。アイス・キューブのバックアップを得て、91年、95年にアルバムをリリースした。

そして96年には、アイス・キューブ、マック10と

ウエストサイド・コネクションを結成。

このウエストサイド最強ユニットではこれまでに、数枚のアルバムをリリースしている。

さらにソロでも数枚のアルバムをリリース。

歌うようなフロウも交えたラップもウマい彼は、Cウォーク・マスターでもある。

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XZIBIT
デトロイトで生まれた後にL.A.にやってきたイグジビットは、

キング・Tをボスとするリックウィット・クルーに加入し、

アルカホリックスやデファーライらと共に腕を磨いてきた。

96年の1stアルバムは「西海岸ニュースクール」的な作りだったが、

98年の2ndアルバムでは一変。アイス・キューブの右腕だった

シー・ジンクスがメイン・プロデューサーを務めたこれは、

次代のウエストサイド・ファンクを聴かせた力作だ。

そして、この後ドクター・ドレーに気に入られ、

彼がプロデュースしたスヌープ“B Please”に客演。

この曲が大ヒットするとイグジビットの人気も急上昇した。

ドレーが総監督を務めた2000年、2002年のアルバムで

シーンのトップに立った彼。

ドレーから独立して2004年にリリースしたアルバムも傑作だ。

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